少年と生きてる。

脱皮するシンママ親子

浅田真央ちゃんになりたい【2022抱負】

いまさら感満載だけども

ふわふわとしていた正月モードが終わり、todoをこなすことでビートを作る日々が帰ってきた。やっと自分のペースを取り戻したところで、一応今年の目標を唱えたいと思います。

 

まず、今年は福顔になる!

30代も後半を迎える今、美人であるかはたいして重要ではない気がしていて。私が目指すところはいかに幸せそうな顔かということ。パッと見て明るい、知性と柔らかさがにじみ出ている、キラキラした瞳に透明感のあるお肌、そんな顔になりたい。年齢を重ねるほど、内面が顔に現れるのはのっぴきならない事実で、40代50代の大人たちを観察すればよく分かる。

というわけで日々の思考、行動をあらため、顔面から幸運をつかんでいこうと思う。

 

 

次に、人間関係。

今年は予感として大きな動きがありそうな気配がある。

どうなっても後悔しないように、日々自分と関りがある人たちに感謝しながら、ひとつひとつを大切に、大切に。

 

 

そして、親子関係。

彼を信じ、絶対的な味方でいる。そして課題の分離。彼の人生を私が悩んでも仕方ない。私が出来ることを全力でやり、全力で伝え、しかしその後は彼自身の決断を尊重する。あれもこれもやっちゃいがちな私だけど、そろそろ彼自身がアクセル踏んでくれることを期待。気長に。

 

 

笑顔、感謝、早起き、勉強、姿勢、運動、資産運用。

1年後の成長を期待して。

 

 

 

 

 

地元の存在感

年末年始、帰省してきた。

何も変わらない実家。家族がそこにはいて。

ホッとするかなと思ったけど、モヤモヤする事の方が多かった。

きっとそれは、私自身が成長もしたし、私自身の世界がやっと出来あがってきたのだと思う。

 

NOと言えるようになったと同時に冷たくなったし

誰にでも良い顔するの辞めたと同時に友達も減った。

 

そんな自分を少し寂しく思う時もある。

 

 

 

自分のルーツを客観的に見たり

お守りのような友達に会ったり

大好きだった祖母に想いを寄せたり

いつもとは違う土地に、自分の過去があって、それが好きでも嫌いでも、ただ変わらずそこにある、いる。

そういう場所があって救われてる自分もいる。

 

 

 

例え煩わしくても、居場所があるってありがたい。居場所があれど孤独なこともあるけど、彷徨い続けるよりはいいのかもしれないと思う。

そんな、ため息まじりの帰省。

30代も折り返そうとしているのに、いまだわがままな小娘なのである。

 

 

 

覚えていなくても【こども定期演奏会】

東京交響楽団が毎年行っている「こども定期演奏会」へ行ってきた。

年に4回あり今回がちょうど80回目。小学1年生から入られるので安心して子連れでクラシックが聴ける。子供のための演奏会だけど、演奏もプログラムも子供だましではない本格的なもの。

まずサントリーホール自体が素晴らしいので、行くだけでテンションが上がる。きれいな余所行きの服を着て、音の世界に浸る。

 

息子とはこうやってクラシックや美術館へたまに行く。

3年生になってそろそろ行くの嫌がるかな?と思っていたけど、誘ったらすんなり「いいよ」と言ってくれたのが嬉しかった。

 

息子は特に音楽を習ってるわけではない。

普段から家でクラシックが流れているわけでもない。

 

でもとても自然に、本物の音楽の価値を感じている。

たくさん伝えたいことがあって、普段から口うるさい私だが、ホンモノの前では何も言葉はいらなくなる。こねくり回してきた自分の哲学や理論は一瞬にして小さくなる。私の説明や誘導はいらない。ホンモノに触れて、あとは自分で感じたものを大切にしてほしいと思う。

 

いつものごとく熱心に聴いている様子ではなかったが、決してつまらなそうでもなく。「また行こうね」と言ってくれたのがこれまた嬉しかった。

 

帰り道のクリスマスマーケットで、パリのお土産と思われるアンティークのキーホルダーを見つけた。 とても気に入ったから買ってくれというので買った。よく見ると栓抜きになっていて、いつか一緒にお酒を飲める日まで、このキーホルダーを大事に持っていて欲しいなと思った。

 

 

 

 

 

まるでタケノコ。

先日ドッチボールの大会があった。コロナ禍で帯同できる保護者も限られていたのだけど、運よくマネージャーとしてベンチに入らせてもらえた。

息子にとってスタメンで出場する初めての大会。

わいわいと楽しくプレイできるメンバーだから、とにかく楽しもうね!トーナメント行けたらいいね!

なんて言ってたらあれよあれよと勝ち進み、なんと優勝!!

試合を重ねるうちにチームワークは一層深まり、互いにいい声かけも出来ていた。

集中力も研ぎ澄まされ、良い意味で力が入らず、ノッていた。

ベンチに入らせてもらったことで、そんな子供たちの様子を近くで見られたのだけど、まるでタケノコのようにこの1日でグンと成長したというか、コツコツやってきた事が一気にあふれ出したというか、とにかく開花した瞬間を見た気がした。

チームプレイの面白さを思い出し、ほんとにいいもの見せてもらった1日だった。

 

 

つい数か月前…

ターンの練習(スクワットの状態でくるくる回り続けるトレーニング)がキツくて、もう嫌だと座り込んでしまったことがあった。

次の練習は休みもう辞めたいとまで言い始める。

私は焦り、壁にぶつかった息子にあれこれ言葉をかける。

どう背中を押せば、どう尻を叩けばやる気スイッチが入るのか、悩んだ。

まわりのお母さんたちや監督にどうしたものか相談すると、ふふふ、誰もが通る道だよ。と余裕の笑み。

そしてその笑みの通り、いつの間にかモチベが戻り今に至る。

この出来事のおかげで気付いたのは、子供は私一人で育てているわけではないんだという事。私が解決してあげなきゃ!ともがいていたけど、違う。

子供は友達や仲間、監督、憧れの人に影響を受けて、自分で歩いていく。

やる気スイッチはひょんなきっかけで入ったりする。

親だからと言ってスイッチを押せるわけではないし、どうにか変えようだなんて、おこがましかったと思う。

というわけで肩の力がフッと抜けた。のを覚えている。

 

そんなことを思い出しながら優勝をお祝いした。

 

 

時間も空間も超えて【岡田美術館】

日帰りで箱根へ。

目的は岡田美術館。

小田原からバスで40分ほど揺られる。うねる箱根の山道に軽く車酔いしちゃったのだけど、それも一瞬で吹き飛ぶほどの強風と雲ひとつない快晴。

バスを降りた瞬間に来てよかったと確信した。

 

 

 

岡田美術館は日本や東洋の絵画、焼き物、うるしなどのコレクションが揃っている。

空港並みのセキュリティを抜け、まずは中国や韓国の陶磁器が多数並んでいる。このあたりはもともとあまり興味がなく、きっとめちゃくちゃ価値のある美術品たちが並んでいるのだけど、凄さがあまりわからなくて(私の教養の低さ故)。

ただ黒い壁にガラスのショーケース(とても長いうえに全然反射しない!)、展示方法がとにかく美しかった。展示室全体、その空間に心を奪われ、歩いているだけでドキドキした。

古いものがとても良い状態で保管されているという事は、それまでに多くの人が大切に守り、長い時代を受け継いできたということ。

そしてこういった時代を超えた作品を観るといつも思うのだけど、この作品が生まれた時代が確実にあって、その時にそこに存在した人達がいた。

時間も空間も超えて、その作品を描いている、作っているその瞬間にトリップしたような感覚になる。その刹那を感じるのがとても好き。

今回その陶磁器たちを見つめながら、特にいくつかあった【水差し】はその時代の女性を思わせた。今とは全く違う、でも確実にあったその世界で、その時女性たちは何を感じどう生きていたのだろう。

 

 

順路を進み、日本の絵画へ。

これぞ日本美術の花形といった浮世絵や豪華な屏風の数々。次から次へとすごいのが出てくる充実しすぎのフロア。

日本画の好きなところのひとつに金の美しさがある。そして生きているような筆のタッチ。今度は一つ一つの作品にしっかり感動しながら日本の歴史を丁寧に味わう。

他ではなかなか見られない春画もまじまじと鑑賞。そしてクライマックスに東山魁夷。完璧!

 

 

 

美術品ももちろん素晴らしいのだけど、敷地内の庭園や、お食事処、風神雷神の大壁画を観ながら入れる足湯(もちろん温泉)もまた岡田美術館の大きな魅力。

鑑賞後は庭園を散歩し、温かい豆アジ天うどんをいただく。

最初から最後まで静寂な時間で、気持ちが整っていくのを感じた。

本当に本当に行ってよかった。

 

 

 

ところで岡田さんて誰なんだろうと思って帰りの電車で調べたら、日本のカジノ王だと!カジノ王の衝撃と静寂の余韻がぶつかるなんだか面白い帰り道。

 

 

 

初めてのカウンセリング

私はアメリカのドラマを見るのが好き。やたらと長く、展開が派手。何より俳優陣がかぶっていないのが良い。日本のドラマのように何を見ても同じ人が出ていたり、俳優にイメージが定着しすぎてそれが邪魔をしていたりしない。

そして必ずといって良いほどカウンセリングのシーンが出てくる。向こうではカウンセリングは日本よりも身近で、多くの人が利用している様子。そしてドラマだからカウンセリングに行って大体のことが解決する。いいなあ。

 

と、いうことで

初めてカウンセリングに行ってみた。アメリカンドラマに感化されて気軽なかんじで。(とはいえ慎重に数か月探した。)

 

ここ数年、色々なことをよく考え、自分に問うた。

出てきた思考は整理整頓したが、感情はまたせっせとしまい込んでいた。

 

感情はあいかわらずしまいがちで、涙が勝手に出てくることも増え、最近は思考の整理整頓すらうまくいってなかったので、プロの力を借りることにしたのだ。

 

こんなことで落ち込んでいてはだめだ、まだまだやれる、私は恵まれている。

というブラック体質な私だったが、結構なところまで落ちていましたね、よく頑張りましたね、と言ってもらえただけで行ってよかったなと思った。

発見もあった。

宿題も出してもらった。

なんにもなくてもおしゃべりしに行くだけでもいいなとも思った。

 

 

大人でも考えや気持ちのコントロール難しいのに、子供はもっと難しいだろうなと思う。

カウンセリングや教育のサポートをもっとたくさん使ってみようと思う。

 

 

 

 

 

 

息子の純粋な家事代行

先日コロナワクチンの副作用で寝込んでいた時の話。

 

前々からワクチンの説明をし、たぶん寝込むからねと伝えていた。

 

それなら野菜をとらないとね!野菜は元気になるから!

と言って夕飯を作ってくれた。

野菜たっぷりのサラダとこんぶのおにぎり、そしてウインナー。

包丁がまだ使えないのでチョッパーでレタスとパプリカを刻み、そこにミニトマトとサラダチキン、胡麻ドレでしっかり和えてからお皿にもってくれた。

私の切る野菜より細かく、私の作るドレッシングドバーの雑なサラダとは違い、どこを食べても満遍なく美味しく、口にも運びやすい、丁寧なサラダ。

そして魚焼きグリルで焼いたウインナーと、小さな手で握ったもみじサイズのおにぎり。

 

もうどれも美味しくて、可愛くて!

なによりその純粋な気持ちに驚く。

 

私は幼少期、誰かのために何かしただろうか。